嶽きみ誕生秘話

なぜ「嶽きみ」はこんなにも甘いのか?
岩木地区での「嶽きみ」栽培の先駆者鈴木農場さんに聞いた嶽きみのルーツ!

弘前市(旧岩木町)嶽地区特産の「嶽(だけ)きみ」は今や、全国レベルのブランド(地域団体商標取得)にまで成長したが、かつては戦後の開拓の入植者たちが、酪農経営の傍ら、試行錯誤しながら始めた農作物だった。
これを読めば嶽きみの歴史・ルーツがわかります。

「嶽きみ」のルーツとなるとうもろこしを初めて栽培した、同町常盤野の鈴木農場の鈴木 健(二代目)に聞いた嶽きみお話です。

戦後・樺太からの帰国

嶽地区入植
鈴木健さんの父・鈴木春雄さんをはじめとした約40戸288人の人々は、1948年に樺太の真岡港から船で日本にかえつてきた樺太からの引き揚げ民であった。樺太にいた日本人約40万人は3年間の拘留生活を強いられていた。リーダー的存在だった鈴木春雄さん清水村瑞穂集落の288人とともに帰国を果たした。1972年発行の「岩木町誌」によると、嶽地区にある「端穂(ミズホ)開拓地」には、戦後の1949年、鈴木さんを含め樺太からの引き揚げ者ら16戸が入植した。

岩木町常盤地区(嶽地区)への入植

嶽きみ
当初、北海道への入植を望んでいたが、受け入れ先がなく青森県へ帰国した彼らは、青森県内を数箇所視察した後、岩木町常盤地区への入植を決めた。開墾の必要があった土地を人力で切り開き、木の切り株の間に農作物を植えたこともあった。約20種類の農作物を植えたが、大豆、菜種、小豆を主流に栽培するようになった。当時、岩木町農協はりんごと米に主力をおいていたため販売はかなり苦労したしたそうである。

とうもろこしとの出会い

入植して6年が経過した昭和30年(1955)鈴木 春雄さんは弘前の種屋さんからアメリカで栽培されていたクロスバンタム(T51クロスバンダム)というトウモロコシの種類を紹介されたのがきっかけだった。
種屋さんが収穫してもってきたら、販売してくれるという約束をしたので、種をもらって畑の一角の3畝くらいの面積にトウモロコシを植えたそうであるが、しかし実際には取り扱ってもらうことはできず、持ち帰って飼料や自分たちの食用とした。この時、春雄さんは「もしかしたらこれはいけるかもしれない」と感じたそうである。しかしそれを春雄さんは4年間奥さんと二人で育てたそうである。開拓民のリーダーであった春雄さんは将来性があるかどうかわからないものを人にはすすめられないから、この土地にあうかどうか試してから人にすすめようと思ったそうである。

とうもろこし(嶽きみ)の広がり

とうもろこしが常盤野で栽培できることを確信した春雄さんは開拓集落にすすめたが、問題は販路にもあったそうである。販路の開拓は難航したが、個々の仲買人が販路の開拓に努力した結果1965年ころまでには、小規模ながらも販路が確立された。安定した農作物を供給できていなかったこともあり農協ではとうもろこしを取り扱ってくれることはなかったが、1982年に農協を通したトウモロコシの出荷が決定した。初年度は8万本出荷し、その後は毎年倍づつ増加していったのである。

「とうもろこし」から嶽きみへ

農協出荷がはじまり、市場に流通した常盤野のとうもろこしはその圧倒的な美味しさと、岩木山嶽温泉のある嶽地区のともろこしをイメージした「嶽きみ」「嶽のきみ」という名称で呼ばれるようになった。嶽きみは市民が自然につけたブランド名であることは非常に特徴的であると言われている。2008年4月「嶽きみ」は地域団体商標を取得するに至った。

嶽きみ 購入・通販はこちら ニュースもおいしい 嶽きみブログ 知らずに食うべからず 嶽きみ物語 嶽きみパンフレットダウンロード